ミニつぶやき。 奨学金編。
何でも先生から子供に話があって、学校の奨学金の第1種の枠がまだあるので推薦してもらえるそうだ。
今、ウチは第2種である。
第2種は奨学金を卒業後に利子をつけて返さねばならんのだが、第1種は利子無し。
第1種の奨学金は、よほど、の人しか貰えんので貧乏が認められた、または貧乏が昇格したっつー事である。
でも、今まで月々貰っていた金額より下がるかも、らしい。
え~・・・。
そりゃー将来の利子無し返済は有難いが、今、今、金が無いのに。。
有難いしおめでたい事だが、フクザツだな。。
石に纏わる薄い話、あれこれ。
山に登ると『やっほー!』と叫びたくなるように。
夕日に向かうと『青春のばかやろー!』と叫びたくなるように。
海に向かうと『○○君、好きよー!』と叫びたくなるように(予想)
川に行くと私は河原の石を拾いたくなる。(叫ばんのかぃ^^;)
で、拾ってどうするかっつーと、まず、コレは何に似てる、とか言いたいのだ。
そして本当は出来れば絵の具でそんな石ころに絵を描きたいのだ。
50年ぐらい前、私がOLになりたての頃(何歳であるか!^^;)
社長が営業の人たちに以前
『河原で石拾って、それに絵を描いて新宿で売ってこい!』
と、無理難題を押し付けていたことを知った。
どんだけの営業力が必要なんだ!^^;
てか、ソレは営業力とか画力、という以前に『詐欺』ではないのか。
まぁ、もっと詐欺な営業もいっぱいあるし、確かに何てことない石や木をステキに加工したり絵を描いたりしてフリマで売ってたりもするんだけど。
果たしてそれを本当にやったのか、やったとして結果はどうだったのかは聞かなかったけど。 聞けば良かったけど。
櫛と鏡は道端で拾うな、と聞く。
女の情念が篭っているからだ、と。
んで、石もまた拾ってはいけないと言う。
情念、ではなくて怨念つーか、とにかく霊が憑きやすいから、ですと
(;;;゜ω゜;;A)
ホントかどうかは別としても、石は偶然そこに転がってきただけなので、あとは移動可能なモノ、というよりそこにあるべくして来たもの、という気がするので拾ってくるのは気がひけるのだ。
なので、子供が小さい頃はよく多摩川に絵の具とおにぎり持って行き、好き勝手にいくつかの石に絵を描き、そのままそこに置いて来た。
もう、水に浸かる、ということは無いとは思うが環境的にどうなのか、とか、下手な絵が描かれた石ころがゴロゴロあって外観的にどうなのか、、と、ちょっと後ろめたかったのでそのままそそくさと立ち去ったのだが、後日、石の裏側?に全部ウチの苗字を書いたと子供から聞いて青くなった次第であった。
現在も・・。
石に対する興味はあるけれど、名前とか特徴なぞ何も知らない。
ただ、つらつら~っと眺めているだけ。
図鑑や人様のコレクション本なんかを見ることだけで満足している。
石好きなのは、石頭だった父の愛蔵?していた『鉱物図鑑』を小さい頃から眺めていた影響もあるかも知れん。
石と言っても宝石にゃー全く興味がなく、くれるというのなら喜んで貰うけれど即現金に替えるであろうぐらい興味が無い。
宝石になる前の段階である天然鉱石の方がずっと好きなのだ。
あっ。(;;;゜ω゜;;A)
でも、アレは厭である!
あの・・虫とかが閉じ込められている琥珀!
虫入りとそうでないものもあるらしいけども。
虫の死骸を首からぶら下げてどうすんだ!(;;;゜ω゜;;A)
・・・と思う。
(好きで持っている方や形見で大事にされている方は、大変すんまそ!スルーされたし^^;)
他人の本棚、自分の本棚
きなこさんのブログ『常設展が好き』の本文とまめさんのコメント。
http://doconoko.hateblo.jp/entry/2013/07/21/104836
そして、まめさんの『夏に読みたい100冊』
http://nine-billion.hatenablog.com/entry/2013/07/22/073942
を拝見して、関係あるような無いようなことなのだがそうだよそうだよ!・・と思ったこと。
私は本屋や雑誌のオススメ本は信用ならん、と思っている。
いや、中には信用して買って感動する本もあるかも知れないけど。
まず、ポップに『泣けます!』なんつって書かれているとうんざりするのだ。
泣きたくないぞ。私は。
前にも書いたけど、ビックリ箱を渡されながら『ビックリしますよ。』なんて最初に言われて誰が楽しいのだ、と。
しかし、世の中には敢えて『泣きたい人』がいるんだよな。。
または、『全米が泣いた!』と映画の宣伝で言われて、そうか、じゃあ泣きに行こう!・・という人が。
観に行ったら、確かに私は泣くであろう。
もう涙と鼻水でグチャグチャになって。
ドラえもんの『おばあちゃんの想い出』(うろ覚え)の回でだってグチャグチャになった私だ。
でも、ホレホレ~泣くよ~感動するよ~・・とは言われたくない。
で。
きなこさんが、常設展が好きだと書かれていたことで(美術館ではないけど)私は全く私的な図書館を作りたいと思っている。
思っているだけ^^;
本屋はどんどん売れ筋を置かなきゃ売れないだろうから無理だろうが、図書館の本を自由にレイアウトしてよい、と言われたら(言われるわけないが^^;)絶対やりたい、と思うことがある。
まず、ホラー(怪談)の棚を作る。
( ゚ω゚):;*.’:;ブッ ww
もちろん『新耳袋』などの実話怪談も。
何故分けるかっつーと(誰も聞いてないが)私は一人の著者が書いた本でも全く興味無いものとスゴク興味、というか面白いと思うものの幅が大きいのだからして。
例えば小松左京の『日本沈没』は全く興味無いけどホラー短編集は全く好きである。
それに小池真理子などは、(恋愛小説も好きだったけど)タイトルだけではホラーだとは分かりにくいのだし。
で、それから・・。
コミックエッセイコーナーも充実だ。
益田ミリとかk・m・pとか猫村さん(それタイトル&まるで漫画だっちゅーの^^;)などなど。
で、図鑑コーナー(とにかく図鑑なら何でも)や廃墟本も常設である。
ソレ、自分んちの本棚でやれよ^^;って話だが、金が無いが為、よっぽど欲しいと思わなければ買わないので全部は揃えられない。
で。(話があっちゃこっちゃ飛んでいきますけど)他人の本棚、にとても興味がある。
きなこさんが冷蔵庫を覗かれるような恥ずかしさがある、と書かれていたが、そうなのだ。
冷蔵庫がその家の生活、というか生活感がぎっちり詰まっているとすれば、本棚はその人の人となり、人間性が詰まっている。
まあ、そんな大袈裟でもないかも知れんけど。
金にまかせてキャビアだのドラゴンフルーツだの大して食べもしないのに(知らんけど^^;)何でもかんでも買っている人の冷蔵庫なんぞ見たくない。
泣ける本、感動する本、とポップにあったから、どこぞに載っていたから、とミーハー(古)な気持ちで揃えました、なんつー本棚なんぞ。
これぞ!・・と思う本をお金を払って自分の本棚に並べている人の本棚を見たい、と思う。
ま、人に見せるっつーもんでも無いと思うし、大概は見られたくないと思うけど^^;ま、見ていいよ、と言われたなら。
高校時代に友達の家に行って本棚を見た。
もうぎっしりと!
萩尾望都の漫画・・であった^^;b
で、彼女は、悪いけどこれは触らんでくれ、と言った。
ええと・・別に、私だから、というわけじゃないと思う^^;
大事なのだ。 人には触らせたくないほどに。
そんな大事な本を自分の本棚に並べているって、なんと素敵なことなんだろう、と思った。
何というタイトルか忘れてしまったが、いろんな著名人の本棚だけの写真が載っている本を、前に図書館で借りたことがある。
見知らぬ人はそうでもないけど、自分が好きな人の本棚は興味深かった。
んで、私の本棚はどうなのかっつーことですが。
・・しょぼいラインナップである。((* >ω<)=3プー
しょぼい、って本書いた人に失礼である。
怪談本から廃墟本、またはへんないきものの本などであるよ(笑)
そこから私の人間性を読み取られたら、ちょっと・・引かれるかも^^;
しかしっ!それらはなけなしの金を払って選んで買った、私にとっては宝の本なのだ。
話が図書館に戻りますが。
地元に4つ図書館がある。
で、実は(実は・・ってこともないが)それぞれに、何となく充実しているジャンルがあることを最近発見した。
絵本に力を入れているところや、エッセイ本、または、怪談本が結構あるところも、ある。
『恐怖新聞』(漫画だけど)なんてのが全集あるのを見つけた日にゃー小躍りしてしまった。心の中で。
そうやって、図書館にしろ、個人にしろ、回りの情報などに軽々しく流されずに我が好きな本の道を行く、っつーところに惹かれる。
・・と、話があっちゃこっちゃ飛んでとんだブログになってしまいましたが・・。
ええと・・そんな個性的な感じが、世間を出回っている、お堅いイメージの国語の辞書にまで及んでいる?ことも面白くて好きである。
持っていないので人様が引用した語句だけど。
善処=相手の意向を聞いた上で、公事として処理すること。政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる。
(by 新明解国語辞典)
こんなのが載っているのを辞書に発見した日にゃー、やはり小躍りしたくなるのだ。
辞書について、再びまめさんのブログにトラバ返しざます。
『彼女の辞書』
http://nine-billion.hatenablog.com/entry/2013/07/24/070917
彼女・・とは、まめさんの辞書好きなお母様である。
いや~辞書のコレクションって、なかなか面白い方ですな~(`∇´*)
『机上最新辞典』とか『別れの言葉辞典』とか。
個人的に『別れの言葉辞典』、読んでみたいです(笑)
どんなんでしょうか。 涅槃で待つ、とか。そんなことでしょうか 違)
軽い下世話な話題です・・。
『ラストシンデレラ』っつードラマが人気だったらしい。
私は、篠原涼子という人は『アンフェアー』のイメージをキープしておきたいので^^;別にキープする必要は無いけど、このドラマは観なかった。
でも。
こはるさんが、タオルケットを被って観ていた、と言われる気持ち、スゴク分かります^^;b
タオルケットは謂わば結界のようなもんで、こっから入ってくんじゃねえぞ・・みたいな感じじゃないかと(笑)
しばし、現実を忘れ、自分だけの世界に入って楽しみたいのだ、と。
で。
ラストシンデレラは、二人の男が一人の女を取り合うみたいな話・・だったのかな?・・^^;
そんな単純な決めつけで申し訳ないですが、本題はそのドラマではなく、それによって突如思い出した河合奈保子が昔歌っていた
『けんかをやめて』・・についてである。
この歌を聞いていた当時は、実に苦々しい思いであった。
つまり、妬み、嫉み、嫌悪・・というどす黒い女の感情である。
この歌の歌詞は、二人の男が自分をめぐってけんかをする、っつー実にシュールな内容である。
シュールかどうか知らんが、少なくとも私の今までの人生に於いてそんなのっぴきならん状態つーか、そんな美味しい、つーか、いや実は大変な感じになったことなど無いわけで。
いや、うんと・・ちょっと重なった時期みたいのはあったけど、お互いには全く知らんもの同士だったし。
なので目の前で決闘!なんつー事態にはならなかった。
だからそう思うんだけど。
で。
そうなったのはみんな私が悪いの。
違うタイプの人を好きになってしまったせいなの。
・・・と。
・・・。
なんつーか、ソレを聴いていた当時は、ていぃー!っと河合奈保子を蹴飛ばしたい思いであった。
いや。
河合奈保子に罪は無い。
ただ、そんな歌を歌わされていただけだから。
思えば、この人は本当に歌詞の内容を解って歌ってるんだろうか?これ、かなりすごいっすよ・・という歌ばかりであった記憶がある。
例えば、『小さな森の大きなお家』なんか。
絶対単純に小さな森にある大きなお家にどうぞ、おかまいなく、みたいに思って歌っていたに違いない、と思う。
本人は解って歌っていない。その解って歌ってないようなところが逆に周りの大人たちにとっては彼女の純粋さが強調されていたと思う。
なんか、そう思うとスゴク嫌な気分にもなるな~。
で、大人になってようやく歌詞の意味が解って何てこったい!・・と思ったんではと、彼女に同情すらする。
あれ??・・本当にそんな歌詞通りだったりして??(;;;゜ω゜;;A)
いや・・違うよなぁ^^;・・・。
で。
けんかをやめて~・・は、二人の男が争ってまで奪おうとするほど魅力的な彼女、をウリにしていたのだ。
いたのだ、って決め付けてますが。
それなのに、自分のせいなの、ごめんなさい。。としおらしい。
これにドキュンとこない男子がいただろうか。
私はドキュンと撃ちたかったが。
で。
問題は河合奈保子ではなく作詞をした竹内まりや、である。
一体どのような了見でこの歌を作ったのか。
自身の体験だろうか。 それであれか、あの旦那か・・。
だって『駅』なんて未だに泣ける。
懐かしさの一歩手前でこみあげる苦い想い出に言葉がとても見つからないのだ。
しかしな。
けんかをやめて~・・は、どうも好かん。
自分が好きになり、自分を好きになった二人の男の間で揺れる・・っつーならむしろ判る。そっちの微妙な心理とかそんなことをああでもないこうでもないと言われた方が面白いかも知れん。 ラストシンデレラはそんな感じだから面白かったのかもとすら思う。
でも、けんかをやめて。と言っているだけの歌詞から垣間見えるのは、二人の間であたふたと、しかしちょっと私はモテるのよ的なほくそ笑みをどうしても感じてしまう。
もう~やめてぇ~二人とも!!・・( ̄ー ̄)ニヤリ
みたいな。 ( ゚ω゚):;*.’:;ブッ w
こんな風に斜めって思ってしまうというのは、既に純粋さから遥か程遠い処に来てしまったせいだろうか、とも思うが・・。
今言うなよ~^^;
出掛けようと玄関を開けたら近所の人に会った。
ちょろっと話をしていて唐突に『あっ!白髪があるよー』と言われた。
ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
ショックだが・・でも・・今言われても!!
・・・である。
1本や2本だったら、悪いが抜いておくれよ、となるのだがある程度まとまってアルらしく、しかも後頭部である。
そんなことより今言われてもどうしようもないことを何で言うのだ!と思った。
これから出掛けようとしているのは一目瞭然じゃないかね。え?
今から家に戻って白髪染めしろってか。そんなこと言ってないけど。
例えば、ストッキング電線してるよ、とか、ハナクソが見えてるよ、とか、私はバカですって書いた紙が背中に貼ってあるよ、とか、そんなのっぴきならんこと且つすぐ対処出来る事ならいいのだ。
でも白髪があるよ、ってあんた。。
まさに今こうしておしゃれして(してないけど)いざ出掛けようとしている時にそんなこと言わんでも!
知らない方が良かった。いや、知っとくべきだけど。
しかしそんなことを言われた日にゃー、出先でずっと頭の隅で頭に白髪がある自分を意識してしまって楽しめないじゃないか。
別に楽しい行事でもないけど。
例えば、誰かが今日の夕飯は豆腐の上に白髪ネギでも乗せようかしら・・なんて言っていたらもうダメである。 私の頭にはもう乗ってますけどね。(´<_` )フッ・・なんてもう卑屈な私である。
そんな心遣いもなくぺろっと言ってしまう人っているんだよな。。
その人は親切心で言ったんだろうけど、決して楽しいお知らせじゃないのだ。
ならば思いとどまってくれよ。
気がつかない私も私だけど、時と場合にもよるのだ。
・・・と、憤慨して旦那に言ったら
『じゃあ後でピンポン、ってして、白髪がありましたよ、って言えばいいの?』
と言われた。
・・・・。
そーだよっ!!^^;
ちょぼちょぼ思ったこと。
そんなこと言ったって
ピンチの時がチャンスって言うけどチャンス逃したらまたピンチなのだし。
今現在も続くピンチはずっとチャンスを逃し続けているってことなのか。 どこにあるんだチャンスよ。
東京タワー
初めて行ったのは多分20歳頃。
印象に残っているのは蝋人形の拷問コーナーに気分が悪くなったことだけ(笑)
何もかも東京名物を同じ土台に乗っけたお土産に苦笑もしたけど。
いつからそうなのか知らんけど、蝋人形の拷問は覗き穴になってるらしい。 何で覗き穴か(笑)
見たい人だけちょっと覗いてみます?みたいな感じか。
ごった煮土産も未だ健在。
昭和初期の場末のサーカスみたいに華やかなのに寂れてる。
そんなどうしようもない昭和な感じを缶詰にしたような東京タワーが今はせつなくて好き。
慰安婦問題
なんだかんだ言ってあの人たちは慰安婦を必要とした男の性を自分の男の性が庇っているだけだと思う。
なんだ、慰安婦って言い方。
絶対に女からは出ない言葉だよ。
ブログ友のブログ
おこまがしい限りなのだけど、普段拝見している方が書いたもので、前回と今回書いたブログの内容がまったく違っていたとしても、ずぅ~っと読んでいると何だか次に書くまでの心の流れ、ちゅーもんが見えてきたりする・・気がする。
そりゃ、その方の生活はブログからじゃほんの少ししか伺えないのだし、それが全てじゃ全く無いのだけど。
でも同じ言葉一つでも、初めて拝見する方が書いたその言葉からはそれだけしか受け止められないのに対し、ブログ友が書いた言葉ではそれ以外に心に入ってくるっちゅーか、言葉から染み出してくるしぼり汁(何じゃそれ)が心にじんわりと落ちてきたりするのだ。
ある言葉はいつも同じスタンス、状態で書かれている。
でも、前回はそこから悲しみ、不安、を感じた。
言葉は相変わらず元気を装っているのだけど。
そして今回、アップされたブログを拝見して、何となく少し気持ちが上向きになったような感じを受けてちょっとホッとした。勝手にホッとしたわけだが。
または逆に、言葉は普通に冷静なんだけどそこからウキウキしたような高揚しているような風に感じることがある。
筆が(キーボードが)なめらかに滑った跡があったりする。
それが分かった気がして嬉しくなったり。
また、怒っているブログ。
それは一つの出来事を書いたものだけど、実はそこから地下に伸びる太い根があることはブログ友故に判ることだ。
顔も素性も知らないとて、ブログ友にはそんな風に、心が少しでも寄り添えているんじゃないかと、勝手に嬉しく思っている。
ネコ
『花梨とうの粒焼き』で書いた、遠距離恋愛をしている娘の話の、おまけ?話。
昨晩、彼氏と駅で別れた娘が、帰り道にネコを連れてきた。
ガリガリに痩せた、大人のネコである。
野良猫だと思って弱っていたから、と連れてきたのだが触ろうとするとひょん、と娘の腕から飛び出した。
なんだ、元気そうじゃん。
首輪は付いていないけど、もしかしたら飼い主がいるかもよ。
毛並みもいいみたいだし。。。
そう言ったら、そうだとしたらこんなに痩せさせた飼い主が許せない、と言う。
いやいや病気かもよ。。
あーだこーだとあって、何だか夜間病院に電話したりして(何と3万ぐらいかかるという)結局元いた場所に返すことになった^^;
旦那がネコを車に乗せて娘と元いた場所に返しに行ったのだがなかなか帰ってこない。
しばらくして旦那から電話がきた。
じゃあ、ネコを放すよ、って言うとさ、黙って泣くんだよ^^;
あ~あ・・・。
こりゃ重症だわ^^;
ネコ、のことじゃない、彼氏のことだ。
娘が抱いていたのはネコ、ではなく、自分の気持ち、だろう。
好きでいたいのにうまくいかなくなってぎくしゃくしてしまった心。
もしかしたら好きじゃなくなったのかも、どうしよう、という戸惑い。
今、これを手放してしまったら彼に対する自分の最初の頃の気持ちが、もう戻ってこないんじゃないか、という不安、恐れ。
いつもの娘じゃない、何やら思いつめたような不安定な感じ。
じゃあさ、何処かでエサとミルク買ってきて、あげてみたら?
それで元気になったみたいだったら(元から元気そうではあったが^^;)安心して放せるでしょ。
もしそれでも弱っていたら明日病院に連れて行こうよ。
そう言ったらしばらく考えていたが
うん。。そうする・・と頷いた。
ネコはバクバクと100円の缶詰を食べた。(だから元気なんだってば^^;)
そして再び、ネコを放しに行った。
どうだった?、と聞いたら
車を開けたら勢いよく飛び出していったよ^^;、と。
あっけない別れである。
元いた場所にはそのネコを何処から来たのか何匹かの仲間?の猫達が迎えていた。
私のブログで頂いたコメントやdoconokoさんが書いてくれたブログなどを涙ながらに読んでいたが、思う処があったのかどうか、ようやく寝る頃になって落ち着いたようだ。
あのネコさ、今頃、仲間たちに、いやいや俺さ~へんな体験したし。突然勝手に連れて行かれて何か缶詰もらっちゃってさ。。なんつって話してるんじゃない?、などと笑いながら。
これからどうなるんだか。
あの、エサを食べて元気よく去っていったネコみたいに、心にも何かしらの栄養がついたら、案外呆気なく終わるのかも知れないし。
でも、やっぱり。
相手を傷つけたことにちゃんと気付けて、そしてそれに自分もちゃんと?傷つくような、女性になって欲しいと思う。
恋愛、に限らず。