先生のノート。
昨日書いた記事の続き、ちゅーか、ちょっと思いだしたことがあった。
前の記事で
その頃は生徒数が多かったので先生たちも一人一人に手が回らなかったんだと思うが、苦手な教科があっても何となくほっとかれていた。
と書いた。
小学校の頃は、勉強した、という気憶が無い^^;
学校が終わって何やってたかっつーと、家では本を読んでいるか、マンガ描いてるか、外では近所の子たちとゴム段飛びやケイドロ、広場で秘密基地づくりなどにいそしむ毎日であった。
私にとっては算数の問題よりも、縄跳びで何回二重飛びが出来るか、とか
どういう角度でブランコから飛び降りればより遠くに着地出来るか、っつーことの方がよっぽど問題であったのだ。
勉強は・・学校が終われば終わり、かと思ってた(笑)
かと言ってその日の授業はその日のうちに消化出来る頭のわけがないので、当然ながらテストだっていいわきゃない^^;
ただ、クラスにはいろんな個性の子がいてそれらをお互いに認め合っていた、というようなところがあり、頭が良い、というのは私たちにとっては個性の一つ、という認識に過ぎなかった^^;
ところが、である。
そんなある日。
先述した『思いだしたこと』って、このことなんだが、
『花梨さん。ちょっと。』
と、担任の先生(女性)に呼び出された。
『これ、毎日やって提出しなさい。』
・・と、一冊のノートを手渡されたのだ。
何すか!?@@:
ビックリして中を開くと、2ページに渡ってびっしりと計算問題が書いてあった。
苦手な(自分では苦手かどうかも認識してなかったけど笑)筆算の問題であった。
プリントではなくて先生が直筆で書いた問題、であった。
苦手な教科があっても何となくほっとかれる風潮?があったのだが、あまりにもおバカな私に、先生はよっぽどほっとくことが出来なかったようなのだ(笑)
その日から地獄(大げさ)の筆算修行が始まった。
毎日2ページ分の計算問題をやり、翌日先生に渡す。
すると先生が採点をし、真っ白だった新たなページにまたびっしり2ページ分の計算問題が書かれたノートを帰りに渡される。
何が嫌だったかつーて、家で問題を解く事より何より、皆の前でそのノートを先生に渡すことが嫌だった。
恥ずかしかったのだ。
いくら個性重視?とはいえ、勉強が出来ないことを皆に知らしめているのだから。
何でこんなことするんだ、と逆に先生を恨んだりもしていた^^;
今思えば、職員室に直接持っていけばよかったのに^^;
でもあの頃の職員室って何だか敷居が高かったのだねぇ。
だから最初の頃は、なるべく皆がわいわいやっているうちに、サッと先生に渡しに行っていた。
しかし数人は、いや、もしかしたら皆?気が付いていたらしい。
ある時(その交換日記が(日記じゃない)どれぐらい続いていたのか忘れたけど)
ノートを渡されて席に着いた私に、隣の席の男子が言った。
『いいな~おまえ。』
えっ!?
びっくらした。
いいな?・・何が羨ましいのだ??こんなに恥ずかしいことなのに!
でも、その男子の一言はちょっと私を救った。
そんなこんなで、ノートが終わるころにはいつのまにか筆算、というものが得意になってきた。
楽しくなってさえ、きた。
何だ?この、問題が解けたスッキリ感は!?・・と。
ある時
算数のテストが翌日にあるっちゅーことで、珍しく、てか、初めて?私はテスト勉強なるものをした。
何となく筆算が得意?になった、という自信で弾みがついたものと思われる。
最初は訳がわからんかったけどそのうち、おぉ!そうか@@:とひらめくものがあった。
その夜、夢中で算数の教科書の問題を解いている私の姿を初めて見た親は、この子は大丈夫かと心配になったかも知れん(笑)
どこのこさんが前回の記事にトラバして下さった。
その中でどこのこさんは書かれている。
知識が自分の血となり肉となるには、それが「面白い」と感じるか否かにかかっている、と私は思っている。
当時通っていた小学校は、確か6か7クラスあった。
しかも1クラスに45人がひしめいていた。
いくらのんびりしていたとて、そんなクラスの人数を1人で抱えていた先生は大変であったろうに。
なのに、私一人の為に毎晩、ノートの問題を採点し新たに問題を書いていたのだ。(よほどおバカな生徒だったから、だとも言えるけど^^;)
でも。
面白かったのだ。楽しかった、のだ。終いに。
もし先生があの時にノートを渡してくれなかったら、私はその楽しさを知らずにずっと苦手で嫌いでいたであろうよ。
全くの個人的な感想だけど・・
何だかそこに、本当の教育があるんじゃないか、、なんて思う。
ゆったりのんびりはしていたし、授業潰して怪談話なんてしていた先生たちではあったけど。
それは確かに、今の学校のように、お上からどうしなさい、どうあるべきだ、なんてうるさく言われてなかった分、自由もあったのかも知れない。
ネットだって当然無かったから、どの学校がどうで、先生達はどう、なんてことが世間には分かりにくかったこともあったろう。
だからこそ、かも知れんけど、何だかそんな自由な分、それぞれの教師のとしてのプライドだとか、教えるぞ!という魂だとか、どうやって面白くしようか、、なんぞと考えていたような、そんな気がするのだ。
だから、当時の先生たちは、どうかすると、塾、というものを敵対視していたように思う^^;
少なくとも、『塾、どうすか?』なんて薦めたりしなかった。
それは、先生の、先生としての『プライド』だったんじゃないのかな。
娘の学校の先生たち一人一人は熱心のように見えるし、不登校の子の家に毎日迎えに行っていた先生、なんてのも(なんてのも、って失礼だけど^^;)いらした。
だから、今の先生たちに、それが無い、とは言えないし言おうとも思わんけど。
で。
私の場合に戻りますが。。
算数(または数学)のテストで90点以上取ったのは後にも先にもそれっきりであった(笑)
そのうち、時速○キロの徒歩VS自転車で何分後に出会うか問題が出てきて、問題の意味すら理解出来ず、また私の頭は混乱していくのであった。