壊れせんべいがすき。

粒焼きからこぼれ落ちた更にどうでもいいような粒つぶ。

まあ、古き良き時代、ってわけじゃないけど^^;

小学校の、何の授業だったかは忘れたが、女の先生だった。

ガラリと戸が開いてその先生が教室に入るなり、いたずらっぽい笑顔を浮かべて一言。

『カーテン閉めて~』

途端にクラスの皆が、わぁ~!と歓声を上げる。

窓側の生徒が何人か立ち上がり、手慣れたようにサーッとカーテンを引く。

今まで陽の光が射し込んで明るかった教室が、もう隣の子の顔もよく解らんぐらいに薄暗くなった。

それは、これから先生が怪談話をする為の舞台の準備なのだ(笑)

 

今思うに怪談話の苦手だった子もいただろうに・・うわぁ~きたーっ!と思って憂鬱だっただろうなぁ^^;

しかし勿論私を含め(笑)多くのクラスメート達にとっては大好きな時間だった。

授業がつぶれる嬉しさ、ということも多分にあったけど。

 

中学の時もそんな感じだった。

珍しく大雪が降った次の日の校庭は、恰好の男女対抗雪合戦の場と化した^^b

唐突に、『今日は授業やめっ!体育着に着替えて校庭に集合~!』

なんてことを言うのだ。数学の先生が。

最初はキャーキャー騒いで雪玉を投げ合っていたのがそのうち、男子が雪の中に小石を仕込んでいた、と女子が怒り、結局もみ合い?になって先生が怒って終わる、というのが定番ではあったが。

 

私が通っていた小・中学校だけじゃなかったと思う。

あの、昭和の時代は、ゆとり教育なんつー言葉も存在していなかったぐらい、今にしてみれば時間がゆったりと流れていたような気がする。生徒も先生にも。

んで、中にはマルチな子もいたけれど、大概は一つの事だけに秀でている、という生徒の方が多かった。

常にどの教科でも軒並み100点近いっつー秀才児(でも体育は苦手)、鉄棒で逆上がりどころか得意げに大回転しちゃってる奴(でも頭の回転は遅い笑)ドッジボール円盤投げが得意な子、美術の先生がいつも贔屓にしている絵の得意な子、ピアノや刺繍が上手い子、授業中にいつもおそろしいほど緻密な迷路をノートに書いている子、お笑い芸人、UFO博士、などなど、実にいろんな個性を持った生徒がいた。

自慢ですが(´・ω・`)私も(頭は悪かったが)短距離走だけは誰にも負ける気がしなかった。

その頃は生徒数が多かったので先生たちも一人一人に手が回らなかったんだと思うが、苦手な教科があっても何となくほっとかれていた。

今みたいに、今みたいにと言っても子供の学校など、私の知る範囲内でだが、何だか全て100点目指せ、ちゅー感じでどの教科も密度が濃く、宿題も全教科あったりして遊ぶ時間なんぞ与えてやるか、ってな感じの印象である。

終いに?先生に塾を薦められたりなんかして。

 

休みだって、私の頃は祝日が開校記念日だったら翌日は休みだったのに、今は重なっても振替休日なんか無いし。

 

それより何より、全国統一テストの成績まで学校ごとに発表しようなんて動き(実際にやってるところもあるみたいだけど)まであったりして、勉強はそんな感じで差別化(その学校の優劣を示す)しようとしているのに、運動に関しては均一化しようとしている。

誰でも頑張ったら一等賞!ってことで、運動会の順位を付けないなんつーのはバカじゃないかと思う。

 

何かに秀でている、○○に関してはあいつにゃかなわん、というのは特に子供世界には必要なことなんじゃないか。

勉強だけじゃなく。いや、勉強以外で。

何かに一目置かれる場所も機会もあったのだ、その頃って。

 

昭和時代は良かった、とは言わないけど、いやむしろ、モンスターペアレントがいない代わりに先生のやることだから、って感じで体罰はあったし、先生にケツバット(お尻をバットで叩かれる^^;)されたよ~と訴えても親は笑っていたし、贔屓もあったし、今は身体によくないとされている兎飛びや、今は危険とされているプールの飛び込み、なんつーものもガンガンやらされていた^^;

でもなー。

今は1週間に3日は塾に行き、2日はおけいこ事って子供が大多数。

塾に行っていない子はクラスで2人。

内、一人はうち、である(笑)

 

えー?塾行かせてないんだ!?なんて驚かれると何だかな、って思う。

まあ、うちは金銭的な問題で無理なだけだけど^^;