嫌いを楽しむ。
全く関係ないですが、私、先程初めて『完璧』のぺキが壁(かべ)という漢字ではなかったことを知り、今までのウン十年の歳月をずっと『壁』と書いて生きてきたことに愕然としております。
下は玉だったんですのね!@@:
今まで漢字テストでカンペキという字は出なかったのか。
もしかしたら汚い字のあまり先生は見落としていたんじゃあるまいか。
完全な状態で壁がどどん~っと出来上がったので、カンペキ。
あぁ。そんなイマジネーションでこの字を書いてきた私の偽りの人生よ。
さて。
先日書いた『花梨とうの粒やき』にドロさんがトラバして下さった。『僕たちもマジック・リアリズムの世界に生きていたのだ』
http://doroteki.hatenablog.com/entry/2014/04/30/040051
私がイトイを好きじゃなかったことを思い出したように、ドロさんもアカサカサカスが好きじゃなかったらしい。
間違い。赤坂泰彦が。
(・・と、自動で引用されるのを嫌ってカタカナで書いてたけどどうも引用されてなさそうなので以下漢字で書きまふb・・・って、しっかり引用されてるじゃん!!・・まあいいや.。。いいのかい! 笑)
で。
私も赤坂泰彦は嫌いだったことを思い出した。
『夜もヒッパレ』での、あのすかしたようないかにも俺の英語力、みたいな鼻に付く英語が(笑)
私にとって、彼らに共通するのは『しゃらくさい』という言葉であった。
しかし、糸井重里の対談集には全くソレが感じられなかった。
むしろ、対談した南伸坊との掛け合いが可愛いとすら感じた。
それは相手が南伸坊だから出した糸井の一面かも知れないけど。
いや~きっとそうだ。
だから、もう他の糸井の著書は読まないと思う。
なんか・・可愛いと思ったままでいるか、みたいな感じで。(何かえらそう^^;)
でも多分他で糸井のことを目にしたとしても、過去に感じたしゃらくさいとの感情はもう芽生えないとも思う。
例えばトレンドだともてはやされていた俳優は今は全く受け入れられないのと同じようなもんで、ようするに、歳を取った、時代が変わったっつーことだろうかね。
トレンドっつー言葉ですら、もう聞かないもんな~。
ドロさんは赤坂泰彦に対して(・・と、勝手に引用してすまんです)
でも、なんだかこの「好きじゃない感じ」が懐かしくって、僕が全然興味なかったあいだも、彼はここ十年間立派に仕事をしてきたのだろうし、そういう部分にどこかちょっとだけ敬意もあったりして、むしろ、僕が好きなような、言い換えれば許せてしまえるような感じになっていなかったことに嬉しくなってしまった。
・・と、書かれている。
許せてしまえるような感じになって・・いた・・ではなく
なっていなかったことが嬉しいと(笑)
嫌い、を楽しんでいるような感じであるねぇ。
面白いなぁ、と思う。
今まで自分の生活に全く出てこなかった人を思い出したことによって、過去に凍結していた感情がまた動き出すっちゅーことが。
で、ドロさんが書かれているように、過去嫌いだった人に対して、まあ、この部分はよしとするか、とちょっと寛容になってきたりすることもあり、で。
それは今の自分の生活環境や今までの経験によって変化した感情でもあるでしょうし。
ただ。
全く許せんという人もいる。
いじめっ子である^^;
もう、今でもフルネームで言えるもんね^^;
例え、何かで再会して相手の印象が変わっていたとしても、過去にいじめられた経験はずっと忘れないし許すこともないと思う。
あはは、と笑い合うことがあったとしても(ないけど)心の中で(でも、こいつは私をいじめたやつだ。)と思う。
優しい面を見たとしても(でもアンタ、いじわるだったよね)と思うでしょうし(笑)
わたしゃ執念深いのだ(笑)