軽い下世話な話題です・・。
『ラストシンデレラ』っつードラマが人気だったらしい。
私は、篠原涼子という人は『アンフェアー』のイメージをキープしておきたいので^^;別にキープする必要は無いけど、このドラマは観なかった。
でも。
こはるさんが、タオルケットを被って観ていた、と言われる気持ち、スゴク分かります^^;b
タオルケットは謂わば結界のようなもんで、こっから入ってくんじゃねえぞ・・みたいな感じじゃないかと(笑)
しばし、現実を忘れ、自分だけの世界に入って楽しみたいのだ、と。
で。
ラストシンデレラは、二人の男が一人の女を取り合うみたいな話・・だったのかな?・・^^;
そんな単純な決めつけで申し訳ないですが、本題はそのドラマではなく、それによって突如思い出した河合奈保子が昔歌っていた
『けんかをやめて』・・についてである。
この歌を聞いていた当時は、実に苦々しい思いであった。
つまり、妬み、嫉み、嫌悪・・というどす黒い女の感情である。
この歌の歌詞は、二人の男が自分をめぐってけんかをする、っつー実にシュールな内容である。
シュールかどうか知らんが、少なくとも私の今までの人生に於いてそんなのっぴきならん状態つーか、そんな美味しい、つーか、いや実は大変な感じになったことなど無いわけで。
いや、うんと・・ちょっと重なった時期みたいのはあったけど、お互いには全く知らんもの同士だったし。
なので目の前で決闘!なんつー事態にはならなかった。
だからそう思うんだけど。
で。
そうなったのはみんな私が悪いの。
違うタイプの人を好きになってしまったせいなの。
・・・と。
・・・。
なんつーか、ソレを聴いていた当時は、ていぃー!っと河合奈保子を蹴飛ばしたい思いであった。
いや。
河合奈保子に罪は無い。
ただ、そんな歌を歌わされていただけだから。
思えば、この人は本当に歌詞の内容を解って歌ってるんだろうか?これ、かなりすごいっすよ・・という歌ばかりであった記憶がある。
例えば、『小さな森の大きなお家』なんか。
絶対単純に小さな森にある大きなお家にどうぞ、おかまいなく、みたいに思って歌っていたに違いない、と思う。
本人は解って歌っていない。その解って歌ってないようなところが逆に周りの大人たちにとっては彼女の純粋さが強調されていたと思う。
なんか、そう思うとスゴク嫌な気分にもなるな~。
で、大人になってようやく歌詞の意味が解って何てこったい!・・と思ったんではと、彼女に同情すらする。
あれ??・・本当にそんな歌詞通りだったりして??(;;;゜ω゜;;A)
いや・・違うよなぁ^^;・・・。
で。
けんかをやめて~・・は、二人の男が争ってまで奪おうとするほど魅力的な彼女、をウリにしていたのだ。
いたのだ、って決め付けてますが。
それなのに、自分のせいなの、ごめんなさい。。としおらしい。
これにドキュンとこない男子がいただろうか。
私はドキュンと撃ちたかったが。
で。
問題は河合奈保子ではなく作詞をした竹内まりや、である。
一体どのような了見でこの歌を作ったのか。
自身の体験だろうか。 それであれか、あの旦那か・・。
だって『駅』なんて未だに泣ける。
懐かしさの一歩手前でこみあげる苦い想い出に言葉がとても見つからないのだ。
しかしな。
けんかをやめて~・・は、どうも好かん。
自分が好きになり、自分を好きになった二人の男の間で揺れる・・っつーならむしろ判る。そっちの微妙な心理とかそんなことをああでもないこうでもないと言われた方が面白いかも知れん。 ラストシンデレラはそんな感じだから面白かったのかもとすら思う。
でも、けんかをやめて。と言っているだけの歌詞から垣間見えるのは、二人の間であたふたと、しかしちょっと私はモテるのよ的なほくそ笑みをどうしても感じてしまう。
もう~やめてぇ~二人とも!!・・( ̄ー ̄)ニヤリ
みたいな。 ( ゚ω゚):;*.’:;ブッ w
こんな風に斜めって思ってしまうというのは、既に純粋さから遥か程遠い処に来てしまったせいだろうか、とも思うが・・。