壊れせんべいがすき。

粒焼きからこぼれ落ちた更にどうでもいいような粒つぶ。

ちょぼちょぼ思ったこと。

そんなこと言ったって

ピンチの時がチャンスって言うけどチャンス逃したらまたピンチなのだし。

今現在も続くピンチはずっとチャンスを逃し続けているってことなのか。 どこにあるんだチャンスよ。

 

東京タワー

初めて行ったのは多分20歳頃。

印象に残っているのは蝋人形の拷問コーナーに気分が悪くなったことだけ(笑)

何もかも東京名物を同じ土台に乗っけたお土産に苦笑もしたけど。

いつからそうなのか知らんけど、蝋人形の拷問は覗き穴になってるらしい。 何で覗き穴か(笑)

見たい人だけちょっと覗いてみます?みたいな感じか。

ごった煮土産も未だ健在。

昭和初期の場末のサーカスみたいに華やかなのに寂れてる。

そんなどうしようもない昭和な感じを缶詰にしたような東京タワーが今はせつなくて好き。

 

慰安婦問題

なんだかんだ言ってあの人たちは慰安婦を必要とした男の性を自分の男の性が庇っているだけだと思う。

なんだ、慰安婦って言い方。

絶対に女からは出ない言葉だよ。

 

ブログ友のブログ

おこまがしい限りなのだけど、普段拝見している方が書いたもので、前回と今回書いたブログの内容がまったく違っていたとしても、ずぅ~っと読んでいると何だか次に書くまでの心の流れ、ちゅーもんが見えてきたりする・・気がする。

そりゃ、その方の生活はブログからじゃほんの少ししか伺えないのだし、それが全てじゃ全く無いのだけど。

でも同じ言葉一つでも、初めて拝見する方が書いたその言葉からはそれだけしか受け止められないのに対し、ブログ友が書いた言葉ではそれ以外に心に入ってくるっちゅーか、言葉から染み出してくるしぼり汁(何じゃそれ)が心にじんわりと落ちてきたりするのだ。

 

ある言葉はいつも同じスタンス、状態で書かれている。

でも、前回はそこから悲しみ、不安、を感じた。

言葉は相変わらず元気を装っているのだけど。

そして今回、アップされたブログを拝見して、何となく少し気持ちが上向きになったような感じを受けてちょっとホッとした。勝手にホッとしたわけだが。

 

または逆に、言葉は普通に冷静なんだけどそこからウキウキしたような高揚しているような風に感じることがある。

筆が(キーボードが)なめらかに滑った跡があったりする。

それが分かった気がして嬉しくなったり。

 

また、怒っているブログ。

それは一つの出来事を書いたものだけど、実はそこから地下に伸びる太い根があることはブログ友故に判ることだ。

 

顔も素性も知らないとて、ブログ友にはそんな風に、心が少しでも寄り添えているんじゃないかと、勝手に嬉しく思っている。