壊れせんべいがすき。

粒焼きからこぼれ落ちた更にどうでもいいような粒つぶ。

今更だが、ブログの☆に思うこと。

常に拝見しているブログは、その人のブログから滲み出てくるモノやその方のリズム、みたいなものを分かっていて(分かっているつもりで)それは日常の、例えば歯を磨くだとか爪を切るだとかと一緒で、読まないと何か気持ち悪い^^;へんな例えですが。

 

何つーか・・

そこに把握欲?みたいなものがある。何じゃそれ。

で。

そんなブログ友以外の方で、その人の書くものが好きでアップされる度に☆を付けているのだが、私のブログにはその人から☆が付いた試しが無い。

私のブログなぞ、全く興味が無いのだ。

 

突然お名前出してすまんが、きなこさんもそんな人がいるらしい^^;

それを、何と言うか、それを快く思う旨と書かれていた。

私もそう思う^^;

何ちゅー清々しいことか、と。(笑)

私なぞ、いたたまれなくて付けにいっちゃうもんな~^^;

 

世間ではやっきになってアクセスを伸ばそうと、興味も無いくせにやたらといろんなブログに誘い水と言う名の☆を付けまわっている人だっている。

誰?と思って見に行って、はい。とすぐに閉じる(笑)

何だってそういう人のブログってつまらんのだろうか^^;

一般大衆向けに当たりさわりのないことを書いている、ということもあると思う。

『その人』が見えない、ちゅーか、その人でなくともいいんじゃん?と思うような内容で。

 

そんなアクセス競争の中、読みたいものだけを読み、その人しか書け得ないものを書いている人は凛としている。

墓参り。

妹と、父の墓参りに行ってきた。

お線香は100均の取り置きがあるが、お花は買わなきゃならん。でも買うと結構する。

どうすっかなぁ~・・と思い、意を決して?近所の畑まで行き、おじさんに、庭のお花を売ってくれませんか?と尋ねてみた^^;

父は野の花が好きだったので、お墓に供えたいんです、と言って。

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そこは無人野菜売り場(いつも有人だけど)を兼ねた、広い畑を持つ昔ながらの農家である。

『いいよいいよお金なんて。好きなの適当に切って持っていきなよ』とおじさんはハサミを渡してくれた。

ありがたや!

まだシャンと立っているひまわり、名前が分からん紫の小さな花。

ごめんね、と心の中で呟きながらお花を適当な長さにジョキリと切る。

すまん、と思いながら花びらや茎にしがみついている虫を指ではじき飛ばす。

 

そこのおばあちゃんまで出てきて、『ケイトウもよかったら持ってって。赤いからお墓に映えるから』と、自ら何本か切って渡してくれた。

菊もあるんだけどね、今年はダメになっちゃったのよ~、と苦笑しながら。

 

 

もう何年も前に、おばあちゃんは連れ合いを脳梗塞で亡くしている。

家で夕食後にくつろいでいた時に、突然倒れたらしい。

『私の方にね、ぐっーとよっかかってきて、そんで死んじゃったのよ。』

息子でも嫁でもなく、妻である自分に、最期の身を任せた。

それを、おばあちゃんは心の拠り所にしてるんだろうなぁ・・と思う。

 

 

最寄の駅からお墓まで、結構な道のりを歩く。

そろそろ私も行かないとお父さんに怒られちゃうよ、という母を、まだ足が痛いんだからいいよ、と引き留めた。

じゃあ、お父さんに宜しく言っといて^^;    

仏壇にいるんだかお墓にいるんだか千の風になってんだか父の所在はよく解らんけど^^;はいよ、と言っといた。

 

 

お花ももらい物、100均のお線香だけど、せめてビールだけはホンモノを買った。

 

 

いつもお墓を去る時には『お父さん、じゃあね~また来るね』と言うのだが、

妹が続けて『じゃーね、気を付けてねー』と言ったことに気がついて二人で爆笑した。

お墓に、『気を付けてねー』って、あんた。

 

今日はポツポツ雨が降ったりやんだりした天気だったけど、帰る頃は真っ赤な夕焼けも見えた。ケイトウの花のような。

先生のノート。

昨日書いた記事の続き、ちゅーか、ちょっと思いだしたことがあった。

前の記事で

その頃は生徒数が多かったので先生たちも一人一人に手が回らなかったんだと思うが、苦手な教科があっても何となくほっとかれていた。

と書いた。

 

小学校の頃は、勉強した、という気憶が無い^^;

学校が終わって何やってたかっつーと、家では本を読んでいるか、マンガ描いてるか、外では近所の子たちとゴム段飛びやケイドロ、広場で秘密基地づくりなどにいそしむ毎日であった。

 

私にとっては算数の問題よりも、縄跳びで何回二重飛びが出来るか、とか

どういう角度でブランコから飛び降りればより遠くに着地出来るか、っつーことの方がよっぽど問題であったのだ。

 

勉強は・・学校が終われば終わり、かと思ってた(笑)

かと言ってその日の授業はその日のうちに消化出来る頭のわけがないので、当然ながらテストだっていいわきゃない^^;

ただ、クラスにはいろんな個性の子がいてそれらをお互いに認め合っていた、というようなところがあり、頭が良い、というのは私たちにとっては個性の一つ、という認識に過ぎなかった^^;

ところが、である。

そんなある日。

先述した『思いだしたこと』って、このことなんだが、

『花梨さん。ちょっと。』

と、担任の先生(女性)に呼び出された。

『これ、毎日やって提出しなさい。』

・・と、一冊のノートを手渡されたのだ。

 

何すか!?@@:

ビックリして中を開くと、2ページに渡ってびっしりと計算問題が書いてあった。

苦手な(自分では苦手かどうかも認識してなかったけど笑)筆算の問題であった。

プリントではなくて先生が直筆で書いた問題、であった。

 

苦手な教科があっても何となくほっとかれる風潮?があったのだが、あまりにもおバカな私に、先生はよっぽどほっとくことが出来なかったようなのだ(笑)

 

その日から地獄(大げさ)の筆算修行が始まった。

毎日2ページ分の計算問題をやり、翌日先生に渡す。

すると先生が採点をし、真っ白だった新たなページにまたびっしり2ページ分の計算問題が書かれたノートを帰りに渡される。

 

何が嫌だったかつーて、家で問題を解く事より何より、皆の前でそのノートを先生に渡すことが嫌だった。

恥ずかしかったのだ。 

いくら個性重視?とはいえ、勉強が出来ないことを皆に知らしめているのだから。

何でこんなことするんだ、と逆に先生を恨んだりもしていた^^;

今思えば、職員室に直接持っていけばよかったのに^^;

でもあの頃の職員室って何だか敷居が高かったのだねぇ。

 

だから最初の頃は、なるべく皆がわいわいやっているうちに、サッと先生に渡しに行っていた。

しかし数人は、いや、もしかしたら皆?気が付いていたらしい。

ある時(その交換日記が(日記じゃない)どれぐらい続いていたのか忘れたけど)

ノートを渡されて席に着いた私に、隣の席の男子が言った。

『いいな~おまえ。』

えっ!?

びっくらした。 

いいな?・・何が羨ましいのだ??こんなに恥ずかしいことなのに!

でも、その男子の一言はちょっと私を救った。

 

そんなこんなで、ノートが終わるころにはいつのまにか筆算、というものが得意になってきた。

楽しくなってさえ、きた。

何だ?この、問題が解けたスッキリ感は!?・・と。

 

ある時

算数のテストが翌日にあるっちゅーことで、珍しく、てか、初めて?私はテスト勉強なるものをした。

何となく筆算が得意?になった、という自信で弾みがついたものと思われる。

最初は訳がわからんかったけどそのうち、おぉ!そうか@@:とひらめくものがあった。

その夜、夢中で算数の教科書の問題を解いている私の姿を初めて見た親は、この子は大丈夫かと心配になったかも知れん(笑)

 

 

どこのこさんが前回の記事にトラバして下さった。

その中でどこのこさんは書かれている。

知識が自分の血となり肉となるには、それが「面白い」と感じるか否かにかかっている、と私は思っている。

 

当時通っていた小学校は、確か6か7クラスあった。

しかも1クラスに45人がひしめいていた。

いくらのんびりしていたとて、そんなクラスの人数を1人で抱えていた先生は大変であったろうに。

なのに、私一人の為に毎晩、ノートの問題を採点し新たに問題を書いていたのだ。(よほどおバカな生徒だったから、だとも言えるけど^^;)

 

でも。

面白かったのだ。楽しかった、のだ。終いに。

もし先生があの時にノートを渡してくれなかったら、私はその楽しさを知らずにずっと苦手で嫌いでいたであろうよ。

 

全くの個人的な感想だけど・・

何だかそこに、本当の教育があるんじゃないか、、なんて思う。

 

 

ゆったりのんびりはしていたし、授業潰して怪談話なんてしていた先生たちではあったけど。

それは確かに、今の学校のように、お上からどうしなさい、どうあるべきだ、なんてうるさく言われてなかった分、自由もあったのかも知れない。

ネットだって当然無かったから、どの学校がどうで、先生達はどう、なんてことが世間には分かりにくかったこともあったろう。

だからこそ、かも知れんけど、何だかそんな自由な分、それぞれの教師のとしてのプライドだとか、教えるぞ!という魂だとか、どうやって面白くしようか、、なんぞと考えていたような、そんな気がするのだ。

 

だから、当時の先生たちは、どうかすると、塾、というものを敵対視していたように思う^^;

少なくとも、『塾、どうすか?』なんて薦めたりしなかった。

それは、先生の、先生としての『プライド』だったんじゃないのかな。

 

娘の学校の先生たち一人一人は熱心のように見えるし、不登校の子の家に毎日迎えに行っていた先生、なんてのも(なんてのも、って失礼だけど^^;)いらした。

だから、今の先生たちに、それが無い、とは言えないし言おうとも思わんけど。

 

 

で。

私の場合に戻りますが。。

 

算数(または数学)のテストで90点以上取ったのは後にも先にもそれっきりであった(笑)

そのうち、時速○キロの徒歩VS自転車で何分後に出会うか問題が出てきて、問題の意味すら理解出来ず、また私の頭は混乱していくのであった。

まあ、古き良き時代、ってわけじゃないけど^^;

小学校の、何の授業だったかは忘れたが、女の先生だった。

ガラリと戸が開いてその先生が教室に入るなり、いたずらっぽい笑顔を浮かべて一言。

『カーテン閉めて~』

途端にクラスの皆が、わぁ~!と歓声を上げる。

窓側の生徒が何人か立ち上がり、手慣れたようにサーッとカーテンを引く。

今まで陽の光が射し込んで明るかった教室が、もう隣の子の顔もよく解らんぐらいに薄暗くなった。

それは、これから先生が怪談話をする為の舞台の準備なのだ(笑)

 

今思うに怪談話の苦手だった子もいただろうに・・うわぁ~きたーっ!と思って憂鬱だっただろうなぁ^^;

しかし勿論私を含め(笑)多くのクラスメート達にとっては大好きな時間だった。

授業がつぶれる嬉しさ、ということも多分にあったけど。

 

中学の時もそんな感じだった。

珍しく大雪が降った次の日の校庭は、恰好の男女対抗雪合戦の場と化した^^b

唐突に、『今日は授業やめっ!体育着に着替えて校庭に集合~!』

なんてことを言うのだ。数学の先生が。

最初はキャーキャー騒いで雪玉を投げ合っていたのがそのうち、男子が雪の中に小石を仕込んでいた、と女子が怒り、結局もみ合い?になって先生が怒って終わる、というのが定番ではあったが。

 

私が通っていた小・中学校だけじゃなかったと思う。

あの、昭和の時代は、ゆとり教育なんつー言葉も存在していなかったぐらい、今にしてみれば時間がゆったりと流れていたような気がする。生徒も先生にも。

んで、中にはマルチな子もいたけれど、大概は一つの事だけに秀でている、という生徒の方が多かった。

常にどの教科でも軒並み100点近いっつー秀才児(でも体育は苦手)、鉄棒で逆上がりどころか得意げに大回転しちゃってる奴(でも頭の回転は遅い笑)ドッジボール円盤投げが得意な子、美術の先生がいつも贔屓にしている絵の得意な子、ピアノや刺繍が上手い子、授業中にいつもおそろしいほど緻密な迷路をノートに書いている子、お笑い芸人、UFO博士、などなど、実にいろんな個性を持った生徒がいた。

自慢ですが(´・ω・`)私も(頭は悪かったが)短距離走だけは誰にも負ける気がしなかった。

その頃は生徒数が多かったので先生たちも一人一人に手が回らなかったんだと思うが、苦手な教科があっても何となくほっとかれていた。

今みたいに、今みたいにと言っても子供の学校など、私の知る範囲内でだが、何だか全て100点目指せ、ちゅー感じでどの教科も密度が濃く、宿題も全教科あったりして遊ぶ時間なんぞ与えてやるか、ってな感じの印象である。

終いに?先生に塾を薦められたりなんかして。

 

休みだって、私の頃は祝日が開校記念日だったら翌日は休みだったのに、今は重なっても振替休日なんか無いし。

 

それより何より、全国統一テストの成績まで学校ごとに発表しようなんて動き(実際にやってるところもあるみたいだけど)まであったりして、勉強はそんな感じで差別化(その学校の優劣を示す)しようとしているのに、運動に関しては均一化しようとしている。

誰でも頑張ったら一等賞!ってことで、運動会の順位を付けないなんつーのはバカじゃないかと思う。

 

何かに秀でている、○○に関してはあいつにゃかなわん、というのは特に子供世界には必要なことなんじゃないか。

勉強だけじゃなく。いや、勉強以外で。

何かに一目置かれる場所も機会もあったのだ、その頃って。

 

昭和時代は良かった、とは言わないけど、いやむしろ、モンスターペアレントがいない代わりに先生のやることだから、って感じで体罰はあったし、先生にケツバット(お尻をバットで叩かれる^^;)されたよ~と訴えても親は笑っていたし、贔屓もあったし、今は身体によくないとされている兎飛びや、今は危険とされているプールの飛び込み、なんつーものもガンガンやらされていた^^;

でもなー。

今は1週間に3日は塾に行き、2日はおけいこ事って子供が大多数。

塾に行っていない子はクラスで2人。

内、一人はうち、である(笑)

 

えー?塾行かせてないんだ!?なんて驚かれると何だかな、って思う。

まあ、うちは金銭的な問題で無理なだけだけど^^;

犯人が許せない  追記あり。

盲導犬が飼い主と共に会社に行く途中で何者かに刺された、と言う事件があった。

そのことをハイクに書いたらば、きなこさんがコメントをしてくれた。

そしてきなこさんはブログにも書かれている。

『街中の恐怖』

うちにも犬が2匹いるけれど、うっかりちょっと足を踏んでしまっただけで、凄い声でキャイン!と鳴く。 いや、それだけ痛いんだよね、すまん^^;

そう、それだけ痛いだろうし、条件反射で鳴くのだ。

 

でも。

盲導犬は飼い主に害が及ばない限りは無駄に吠えないように躾けられている。

*1だから、フォークのようなもので刺された瞬間、その盲導犬は咄嗟に我慢をしたのだ。

痛かったろうに。怖かっただろうに。

突然の痛みなのに、声をあげない、なんてことが出来るんだろうか。

 

いくら我慢するように訓練されていたとしても、痛い思いをさせても鳴かないようになんて訓練なんかされてないだろうに。それじゃ虐待だし。

ましてや、刺されても我慢するような訓練、なんてしていないだろうに。

 

これが、逆に飼い主が刺されていたらどうしていただろう。

そういう場合はどういう行動に出るように訓練されているのか分からないけど、でも少なくとも周りの人間に必死に知らせるぐらいはしていたはずだ。

それは、そうやって躾られた、というより、飼い主への愛情から、なんじゃないかと思う。

 

この、刺された盲導犬の飼い主は気が付かなかった。

当然であろう。 見えないし、犬も鳴かなかったのだから。

ただ、いつも一緒にいる、パートナー、いやそれよりもう家族だろうし、自分の分身であろう、その犬が、何者かに危害を加えられていることに気付けなかった、ということで自分を責め、また、とてつもなく悔しく、悲しい思いをされているんじゃないかと思う。

 

そして、きなこさんが書かれているように、目撃者はいなかったのか?と私も思う。

傍に、人はいなかったの??

駅や電車内で犯行が行われた線が強い、という。

もし私が目撃していたら・・。

やはり動けなかった、と思う。あまりにものことで。怖くて。

後で何らかのアクション(警察に言うなどして)は起こすと思うけれど、その場では自分の身を守ろうとして何も出来ないんじゃないかと思う。

 

でも犬は、自分もやられるかも、なんて思わないんじゃないか。

もしかしたら猛然と犯人に立ち向かうかも知れない。

 

もし、目撃した人がいたなら・・いや、いるはずだよ。

警察に届けて犯人の特徴なんかを鮮明に話していて欲しいと思う。

そして、早く早く捕まえてほしい。断罪して欲しい。

 

 

街中でたまに盲導犬を見かけると、私は走り寄って頭を撫でたい気持ちになる。

でも、パートナーといる時は触っちゃいけないんだ。

あんまり見つめてもダメだろうな・・なんだこのオバサンは、と気が散って仕事の邪魔をしちゃうだろうから^^;

だから、こっそりじっと見ている。 心の中で頭を撫でている。

 

 

今回、被害にあった盲導犬は、『オスカー』と言う名前だと、PCのニュースで知った。

その、つぶらな優しい目の盲導犬の写真を見ながら、私は心の中でオスカーを抱きしめる。

ごめんね、ごめんね。 

人間ってひどいね、と何度何度も謝る。

 

 

 

*1  この、我慢した、という件について、今日(9月13日)の新聞で、盲導犬は決して我慢をしているわけじゃない、と書かれていた。

それは、我慢を強いるようなそんな過酷な訓練をしているのか、という投書を受けてのことらしい。

飼い主も、ただただビックリして声が出なかったんじゃないか、と。

私はそれでも・・我慢したんじゃないかと、そう思う^^;

彼は、職務を全うしようとしたんでないかと。

と・・いろいろ言っても犬の気持ちは本人(本犬?)にしか分からんのだ。

無理を通して道理を引っ込ませようとする人たち。

 

職場のスーパーのレジのおばさまの話である。

私はパン屋部門なので詳しい話は分からんけども、この方普段でも、レジ経験が長いにも関わらず、一旦仕事を終えて『お客さま』の立場になるとレジが混んでいるのを分かっていてもその場でめんどくせーことを言ってくる、ことで有名らしい。

まあ、そのスーパーのパートとはいえそこで買い物すればお客さまになるわけだから、混んでいようが何だろうか関係ないでしょ、ということなんでしょうけど。

レジの人たちにすれば、ソレ、後でもいいんじゃ・・今忙しいし・・ということを頼んでくるのであろう。

で。

先日、その方がパン屋に来て、パンを注文した。

その日は特売日で、そのパンは普段より何十円か安い。

10個欲しいんだけど、でも今日はいらないのよ。そのパンがいるのは来週なの。

で、今日はそのパンが安いからお金だけ払って、受け取るのは来週の○日にしたいんだけど、と言う。

 

はい~?・・と思った。

取り置きしてくれ、ではない。 来週に同じ新しいパンが欲しい、と言うのだ。

でも今日は特売だからお金は今日払う、と。

 

対応したのは私ではなく、ベテランの人だったのだが、彼女は戸惑いながらも『私じゃ判断できないので副店長(その日はチーフも店長も休み)に聞いてみます』と言い、後で確認をしに行った。

で。

・・・いいんですと! 副店長がOKしたらしい。

 

何じゃそれー!!

 

じゃあ、何かい?

今日、お肉の特売日で安いから買います。でも今日はいらないの。

来週の土曜日に欲しいからその日にお肉受け取ります。

とか 

果て?は、今日数の子が安いからお金払います。でも今日はいらないの。

来年のお正月に受け取ります。

なんつーことと同じじゃないのかい??

 

お客さまは勿論、でも例えそこで働いているパートだとしてもそんなことがまかり通るようになれば、大変なこっちゃ、である。

キリがないし、またその日に新たに発注せねばならんというめんどくさ、そしてなにより、特売の意味!

でもそれより何よりまず・・よくそんなこと考えついて言えるよな~^^;

 

そりゃ、そうしちゃいけない、という規定はきっと無いのだろう。(誰もそんなことしない^^;)

でもだからといって、ですよ。

まあ、その人が貧乏で、でもどうしてもそのパンをその日に食べなくちゃ死んじまう(どんな状況だ^^;)というのならアレだけど。アレって何だ^^;

それは単に、そのスーパーで長年働いているんだから、いいじゃん、大目に見てよ、という許されざる奢りっちゅーもんでしかない。

 

 

 

で、普通のお客様だとて、イルのである。

前にも書いたけど、値引きの時間の直前まで自分のカゴに惣菜パックなどをごっそり入れといて、値引きの時間になったらカゴから取り出して値引きシールをせがむ人たちが。

 

 

そういう人たちが、震災の時に一人一個と決められた食料に何回も並んだり、うちは大家族だからいいでしょ!などと人一倍文句を言うのだな~。

変形トマトと牛乳パック

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これをおしりと言わずして何をおしりと言うか。

 

近所の無人野菜売り場では、こんなおしりトマトやら、足をからませた妙に色っぽい大根やらが普通のに混ざって売られている。

日光を浴び雨に降られてすくすく育った、ちゃんと野菜然としたカタチも、美味しそうで美しいとは思うけれど、アンタ反抗期長かったでしょ的なひねくれたものの方が私は『愛い奴よのぅ・・』と、思わず手が出てしまう。

 

『面白いカタチですねぇ~』と畑のおじさんに言うと

『そんなのとか虫喰っちゃってんのとかは、うちが卸してるスーパーは絶対引き取ってくんないからさ、だからここに置いてんの。』

と笑って言う。

 

たまにスーパーでも『不揃い野菜』と書かれたポップが並んでいるのを見かけるが、特売であって、何日か経つとそのコーナーはなくなってしまう。

 

そういえば。

『震災以後、奇形の野菜が目につくようになりましたが放射能の影響じゃないでしょうか』

などと書かれた投書(福島の人ではない)がネットの質問コーナーに多く載っていた。

いやいや、ずっと前からそんな野菜あっただよ。

単にそれまでは厳しくはじかれていただけだよ。

 風評猛々しい(日本語合ってますでしょうか^^;)と言うか、明らかに放射能が原因だとされているもの以外でも何でもかんでも放射能のせい、ですな。

道端で転んでも、これは祖先のたたりじゃないか、と騒ぐような。(いないかそんな人)

 

何が書きたいか忘れてしまいましたが、えっと・・とにかく、綺麗な野菜やら果物ばかりが整然と並んでいるのを普段世間は目にしているわけですな。

売る方も見た目がよくなきゃ売れないと、へんなものははじく。

そして買う方も色やカタチ、艶で選ぶ。(おしりトマトも艶あるけど)

 

で。

むか~しむかし、アメリカでホームステイしていた時、家にあった牛乳パックを見てびっくらしたことがあった。

何てことのないシンプルなパッケージに『MISSING』とデカデカとした文字があって、これまたデカい子供の写真が。

こ・・これは??

と聞いた私に、

『ああ、行方不明の子供の写真が印刷されているんだよベイベー(ベイベーなんて言ってないが)』

・・と。

『これはこの牛乳メーカーだけが善意でやっていることなんですか?それとも全国展開でやっているのか、それに時期的なものなのでしょうか?』

・・と、聞いた。

うそです。

そんなこみいった英語なぞ話せるわきゃなく、ただただ、へぇ~・・・と、牛乳パックと行方不明の顔写真とのコラボの意外さに驚いていた私に、ホームステイ父は

ミルクは日常的に飲むものだからよく目につくだろ?ハニー(言ってない)

と、さも当然のような口ぶりであった。

 

とは言っても。。

さあ、爽やかな朝だ!牛乳飲もう!・・と、手にとったらいやおうなく、MISSINGの字と子供の写真が目に入るのだ。どよん・・である。

勿論写真の掲載を親御さんは許可(というか、願って、でしょうけど)してのことだし、情報を得られやすい方法かも、だとはいえ、日本ではあんまり考えられんことである。

 

行方不明者の数で言えばそりゃ圧倒的にアメリカの方が多いとしても

自分たちのメーカー名やらデザインやらをつぶして、そんな写真をデカデカと載せるような会社なんてあるだろうか。

もし、じゃあ私らがやりましょうか、てなことでやっているメーカーが出てきたとしても何だか善意の押し売りのような、逆に売名行為というようなそんなあざとさを感じてしまう・・かも知れん。

自然に、当たり前のように、という行為のむずかしさ。

それを自然に日常に取り入れているアメリカ犯罪事情。

 

 

それだけ深刻なんだよ、とポツリと彼は言った。

 

 

また岡山でも子供がいなくなった。

ホントに腹立たしい思いである。

でも、今まで誘拐された子供の顔、今でも行方不明の子供の顔を私は全然覚えておらず・・。

だから、例えば近所の廃屋だとか(無いけど)どっかの国道で、だとかで犯人と一緒のその子を見かけたとしても全く気が付けないんじゃないか。

 

牛乳パックではないにしろ、もし普段から目につくところに子供らの写真があって、自然に脳に焼き付いていたならば、もしかしたらもしかして、あ・・あの写真の子供じゃないか?などと気が付く人がいるんじゃないだろうか。

 

スーパーでは綺麗な野菜が並んでいることが当然で(って、野菜に例えて申し訳ないが)それぞれ趣向を凝らした華やかなデザインの飲み物やらお菓子だって並んでいる。

それらに描かれているイメージキャラの顔は、いやおうなく目に入るし、似顔絵も書けるぐらいである。

しかし、ある日突然日常が壊れ、誘拐された子供の顔は、テレビやネットや新聞、または交番で、自ら見ようとの意志でしか見られない。

それだとて、ある程度の時期が過ぎたらテレビはもう呑気なニュースを流し、交番だってポスターをさっさと撤去しちゃうんじゃないだろか。

 

次から次へと その時の話題性のあるもの、または、華やかできらびやかな明るいものがどんどん垂れ流されて、地味な(誘拐のことではなく)またはお上にとって都合の悪いようなもんはすぐに消えてゆく。

ソレ気になる人だけネットで見れば~?みたいな。

無人野菜売り場ならあるんじゃない?みたいな。

 

事件が起こっても、解決しなきゃその後の事は全く報道されなかったり。

何だかあまりにも話題性重視で。

 

牛乳パックに印刷、とまではいかずとも何かもっと残るかたちで普段でも目に付くような仕方ってないもんだろうか。。

 

オリンピックで日本を着飾ることばかり考えて、ボロボロの仮設住宅のことは世界から隠すこの国には、しょせん無理なんでしょうな~。